沿革と現状

心臓血管放射線研究会は、来年で発足から30年になる。これを機会に、同研究会の沿革と現状について記録を残しておきたい。

【Ⅰ】 沿 革

心臓血管放射線研究会開催の年表は別表に示す通りである。この研究会が1974年に発足した。小塚隆弘、本保善一郎、重田帝子、小林昭智(故人)、松山正也らが始め、これに高宮 誠、木村晃二、前田宏文(故人)らが加わった。

初めは「心臓放射線研究会」という名称で、「放射線科医のための心疾患の放射線診療に関する学問及び技術の研究とこれに関する知識の交流を行い、以て学問の交流及び社会福祉の向上に寄与すること」を目的として発足した。当初から年2回開催され、これは今日まで続けられている。はじめの頃は先に述べた数人又は、せいぜい20人か30人くらいの参加しかなく、演題も数題のみであった。1題について20分或いはそれ以上の時間をかけて議論が白熱した。症例検討を中心に相当につっこんだ討論が交わされたが、先天性心疾患特に複雑心奇形の血管造影診断などに重きを置かれることが多く、一般の放射線科医の参加が少なかった。

このような状況の打破のために、高宮 誠代表幹事(当時)らの提案により、1994年から研究会の名称が「心臓血管放射線研究会」と改められ現在に至っている。名称変更後は演題数と参加者が増加し、心血管関連の知識と技術の交流に大いに寄与している。また、これまで取り上げることの少なかった核医学関係の演題や講演も今後増加する見込みである。

また、2003年1月(第56回研究会)から、栗林幸夫代表幹事らの提案により日本心血管画像動態学会との並行開催が始められた。それまでは、「放射線科医による、放射線科医のための研究会」いわばclosedの研究会であったが、これ以降、他科の医師との協力関係が強化され、活動の幅が広がっている。 また、CT, MRIなどの非侵襲的診断法の発展により 心臓血管疾患への応用が増え、演題数の増加とともに若手の放射線科医師の参加が増えている。

2011年7月(第73回研究会)には国際化の流れを受け研究会名に「日本」を冠し「日本心臓血管放射線研究会」とすることとなった。

(林 邦昭)

【Ⅱ】 研究会発足の経緯

すでにホームページに長崎大学 林名誉教授が研究会歴史の概要を記載しているがその最初の数回は白紙になっている。記録を残さなかったことに責任を感じて思い出すままに述べる。
まず、研究会の必要を感じたのは研究会を立ち上げる動機は当時の放射線科医が外科医に比べて少数、弱体であったことがあげられる。また、日本医学放射線学会のなかでも異端視され“心臓を手がける人たちは将来どうするつもりか?”という声があり、国立循環器病センターの発足に当たっても“放射線科医はこのセンターで何をするのか”と失礼な質問をする輩もいた。
これよりずっと以前に、このような環境にあって大阪市立大学玉木教授、東京女子医大島津教授が学会で宿題報告を担当された。このお二人の先駆者に敬意を捧げたい。

当時、心臓外科は揺籃期にあり、大阪大学では小沢教授、曲直部教授が心臓の外科手術を手掛けていて、放射線科立入教授に協力を要請された結果、私に教授命令が下ったのである。私が大学卒業後専門として選んだのは癌の放射線治療であり、心臓を担当せよとの指示はまさに寝耳に水のことであった。しかし、何とかなるだろうという軽い気持ちで方向転換した。曲直部教授には何かと助けて頂いた。動物実験が必要になると放射線科の研究室に来て犬を使った実験の手ほどきをして下さったことは忘れられない。しかし、当時、心臓の画像診断は胸部X線像だけであり、検査、あるいは手術した症例のX線フィルムはすべて外科が管理していて、必要なフィルムは借用書を入れて借り出す始末であった。心臓の診断を本気でやるなら外科のカンファレンス、教授回診に参加しろ、と言われ、外科教室のカンファレンスでは厳しい質問に遭遇したが徐々に外科医の信頼を勝ち取り、循環器疾患症例のX線フィルムをすべて放射線科に引き取ることが出来た。X線像と外科のカテーテル・データを突き合わせる仕事を始めたのはそれ以後である。そのような経緯とデータをやり取りするにつけて外科医とよい協力関係を築くことが出来た。他の施設でも事情は似たようなものと推察する。
その頃は心臓の画像診断に携わる放射線科医はまだ少数であり、仲間を募って研究会を持ちたいと学会に申請したところ、物理部会、生物部会以外は認めないと冷たく拒否された。それならと学会総会、秋季大会の機会に研究会の開催を計画し、会長にお願いして会場とSchaukastenを借り、各施設から症例を持ち寄って現在のフィルム・カンファレンス形式で研究会を始めた。邪魔にならないよう学会終了後に開くため、夜遅くなることもあった。主に先天性心疾患が討論の対象であったのはその頃の必然的な事情である。その後、研究発表、討論に十分な時間をとるため学会の会期内を避け、現在に至った。記録が残されていないのは以上のような形式をとったためであるが、小塚の手落ちであることは確かである。日本医学放射線学会で専門領域の研究会を立ち上げたのは本研究会が最初であると自負する。 当初の研究会が閉鎖的で参加者を放射線科医に限定したのは放射線科医の立場を擁護する目的であったがCT, MRIなどの検査法が参入して画像診断法が増え、放射線科医の実力が向上した現在、その心配は無用になった。
研究会を現在の形に整え、国内の関連学会、外国との連携など発展させたのは主に高宮、栗林をはじめ幹事、参加する会員皆さんのお蔭である。

(小塚隆弘)

【III】 現 状(活動状況)

2回/年、研究発表会開催。一般演題のほか、特別講演(原則として外部からの講師)、教育講演(内部の講師)、及び症例検討(通常3症例)を行っている。研究会には土曜日一日をあてているが、活発な討論のため時間が大幅に遅れることも屡々である。討論は白熱しつつも和気藹々とした雰囲気のもとで、という本研究会の伝統は現在も保たれている。第54回(2002年1月19日開催)から、全ての発表をPCで行うようになった。第69回(2009年6月6日開催)にはAsian Society of Cardiovascular Imaging (ASCI)との共同開催も行われ、以後若手放射線科医のためのASCIフェローシップの創設など国際連携が進められている。上述のように、2003年以降は年1回の日本心血管画像動態学会との並行開催が継続して行われている。

【IV】 会員数

上述のように、発足当初は数名の会員であり、参加者もずっと二桁に止まっていたが、1996年頃から100人を越す参加者が得られるようになった。 また、日本心血管画像動態学会との並行開催を始めた2003年以降は150から時に200人を超す参加者となっている。
参加数(過去10回の平均)166名